例によって(受験数学の話)

といっても、どちらかというと受験教育というくくりになりそうです今回は。

このブログ内で言うところの「受験数学」「受験教育」というのは、いわゆる中学で行われている「公式ゲー」と「暗記ゲー」のことです。
とりあえず答えがあっていればいい。というやつ。


英語なんかは、日本人は英語ができないってことが言われていて、なんか小学校からやるとかなんとか言ってますが、正直な話

今のままのやり方じゃいつからやっても一緒

だと思います。
おもに英語ができないと言われている原因が「会話ができない」「情報の発信ができない」というものなので、どれだけ「今までと同じ読解・聞き取りメインの学習」をやっていても、何も変わりません。
単純な話で、喋れない原因は喋っていないから、ってことなんですよ。それをいくら小学校からやったとしても、(例え小学校で会話をさせようと授業をしても)今のままの読解・聞き取り重視の授業形態を続けてたらいつまでやってもできないもんはできません。
むしろ小学校のころからやったら英語に対してトラウマ持つ子供増える気がするのは俺だけ? って思うんだけどね。


数学(理科もだけど)に関しては、他の記事でも散々言ってるけど、「公式使って問題とければおk」って風潮がおかしい。よくよく考えれば、中学のテストで答えだけ書かせるっていうのも、「解く仮定」の重要度を減らしてより「公式ゲー」化している原因だと思う。
あんなテスト形式じゃ答えを見ても問題を理解できているのか判断できないし、間違えた原因が単純な計算ミスなのか理解できていないからなのかもわからないから、できない人に対するフォローもしにくくなる。
むしろ先生が採点を怠って楽をしようとしているようにさえ見えるんだよねアレ。今見るとだけど。


社会とか国語もそう。「答えさえ暗記すればできるテスト」っていうのは要は「物事の背景とか原因とか考えずにとにかく覚えろ」って言っているようなものじゃないか。
それこそ「いいくにつくろうかまくらばくふ」みたいな「年代を覚える作業」っていうのは興味を削ぐ原因にはなっても、歴史に対して興味を持たせる要因になることなんてまずないわけで。歴史なんてのは、「どんな時代にどういう背景でそれが起きて」っていう物語としてのあらすじを知ってこそ楽しいものであれ、延々覚えるだけの社会に楽しみを感じろっていうのが無理なことなんだよね。

ちなみに中学歴史とか社会系大嫌いだった俺ですが、高校入ってからしっかりと事件の原因・背景を聞くようになってから楽しくなりました。テストで点取れるかって言われるとあれだけど、少なくとも中学の時よりはできるようになった。


まあ、要は何が言いたいかというと、
物事を教えるときはまず興味を持たせることが大事
ってことですよ。
あと、生徒からしてもあからさまに無駄なことはさせないこと、かな。正直そういうことをする先生は見限る(例えば年代を無意味に覚えさせることとかねwww)。

まあ、これを改善するにはまず今の「受験体制」そのものを根底からひっくり返す必要がありそうだけども。
もともと「学生をその個々人にあった学習環境に振り分ける」ための「手段」であるはずの受験が、いまや「目的」にすり替わっているわけだから。


ああ、一応言っておくけれども、受験は必要だと思うよ。ただ、いまの体制の受験じゃ、悪循環しか起きないってこと。
そもそも先生の目標が「より高いレベルの学校に合格させること」になってる時点で、教育としての根底が崩れてるからね。

ということでまた長々と書いたけど今日はこれでおしまい。ってことでノシ