余計なモノほど

クッキー焼いたことのある人なら分かるかと思いますが、星形のクッキーを作ろうと言うときに、手で星の形を作る人はいないと思います。
大抵の人は型を使って、板生地から星を抜き出すわけですが、いくら練り直すとはいえ、作りたいモノより大きなものを用意して切り取ると言うのは、無駄な部分をわざわざ作っているわけで、本来効率的でないはずなのです。
ところが実際には、その余分な生地を作ることによって、効率は逆に上がっているわけです。

意外とこういうことはそこらじゅうに転がっていて、少し専門的な分野で言うなら半導体基盤なんてものも、わざわざ余分にSi基盤を作って切り落とす、なんてことをして、製品の精度を出している面があります。

電車に乗るときだって、駅でわざわざ電車が来るまで無駄な時間を過ごすからこそ、より早く、より楽に(鉄道会社からすればより管理しやすく)なっているわけです。

さて、ここからが本題なんですが、案外同じ事が勉強にたいしても言えるわけです。
例えば理科は、淡々と授業をするよりも実験をやって1コマ余計に使った方が、学生の興味が掻き立てられて能率が上がる事があります。
社会に関しても、歴史の(テストと関係のない)裏話や人間関係なんかを無駄に話した方が、学生の頭に残るものです。

結局のところ、今の教育は無駄を省いていった結果、学習の能率が下がったのではないかと言いたいわけです。

……もちろん、無駄なことだけやっても行けないわけですが。